ネットで得た友誼に捧ぐ


塵核形成 2004/10/26 発表記事より 文作成/海苔さん
http://moto0629.hp.infoseek.co.jp/

ここに訪れた全ての人のために

2004年10月某日、私の親友であり、このサイトにも少なからず関わりのあった、ハンドルネーム・黒山羊が逝去しました。細かい日時や死因などについては配慮せざるをえないため、書きません。急逝であったということ、新潟中越地震が影響したわけではないということといった点だけ、ここに書かせていただきます。

何かの機会にこの文章を読むことになったであろう友人知人の方々には、この文章が決して軽い判断によってネット上に存在するわけではないことを、察していただきたいと切に願うものであります。また、私とは懇意でも黒山羊とはネットでのみの接触であった方々には私からの連絡が行き渡る前にこの文章がUPされている可能性もあるという点については、ご理解ください。

もはや私はこの件に関して語ることはできず、ただ、これからのサイトやネットでの活動の中で何かしらの想いをネットでしか繋がりを持てない方々には伝えていきたいと思うところであります。そのため、ここからは、差し障りの無い範囲で、私が書きたいと思ったことを書かせていただきます。

彼とは学生時代に知り合い、私の物事に対するスタンスには様々な面から影響を与えました。私の思考の大木の根の一つであることは間違いありません。それほど、彼はすばらしい価値のある人間でした。そして、私にとってはこれからも価値のある人間であり続けます。

もっと、もっと、供に何かをやり続けたかった。それが叶わなくなった今、私は可能な限り、目に見える形でもそうでない形でも、私なりに、彼のやろうとしていたであろう事柄を考え、実行したいと思うものです。

本来ならネットでの更新再開までの間隔はそれほど長いものになるわけではなかったのですが、以下に書くことが、一面的には無駄であるということが理解はできても納得ができない愚かな私は、どうしても彼に、いや、彼に関わった全ての人のために、彼に関わることができなかった人たちのためにすら、何某か考え抜けたものを形にしたいと思う次第であり、よって、明確な時期は推測できませんが、来年になるまでは、更新を見合わせたいのです。それ以前にネット上での活動を再開したとしても、せいぜいが知人の方々のところや私の管理しているBBSでの書きこみだけになってしまうと思われます。そういった点などについて、ご理解をお願いするものであります。(2004年10月26日UP)


なにから書こうか・・・・
中越地方地震で新潟に住むネットで知り合った友人達が心配だった。
特に海苔さんは様々な事情と状況が積み重なった中での事であったし。

そして得られた・・・・回答

少なくとも、予期していた答えでも、期待していた答えでもない回答。

それがそこにあった。
ネットで散々、馬鹿なチャットをやりまくった仲間の一人が急逝したという。

彼との直接的な面識は一度あった程度だと思う。
海苔さん含めて他の幾人かとは、その後も数度のオフ会で顔を合わせる事が出来たのだけど、
彼とは時間的都合などが会わなかった。

それでも海苔さんという人物を通じて、MSNメッセンジャーというツールを用いて、
かつて日夜、馬鹿な会話に花を咲かせて時間を共有しあった。

彼とはそういう仲である。
所謂、ネット仲間という存在。

友誼のあり方というのは様々な形があり、それぞれに異なる物だと思う。
しかし、その中核に普遍的な存在として有る物の一つ。
それは時間の共有ではないか。

少なくとも、自分はそう思う。
そしてそれが人の生を豊かにする要素としてより不可欠な物だと思う。
人との関わりや繋がりがあって、初めて人は生きていける。
その絆が強ければ強いほど、人は前を向いて歩く気力を失うことはない。
自分はそう思う。

・・・・・思う、という言葉ばかりが続く。
自分自身、未だ明確な回答を得られているわけではないし、
真理に触れるには、修行不足なのだろう。


自分は人との時間の共有が、黄金の価値に勝る物であると信じている。

そしてそれは彼とも例外ではない。
願わくは彼の周囲にあった人全てにとってもまた、彼との時間の共有がかけがえのない価値を産み、
彼と彼の周囲にあった人にとってかけがえのない人生の資産とならんことを。

友誼と共に彼はこれからも存在し、友誼と共に語られる事を。
それが決して悲しみと共にあらぬ事を。
旅立ちを見送る者が笑顔で、語れることを。

或いは、いつの日か邂逅し、共に語れる事を。

ひとまず、ここに筆を置きつつ、彼の冥福を彼の信じる存在と、
自分が信じる神に祈って。

2004/10/26
野良猫帝国管理人 岳鵬挙