時代を作った美少女ゲーム

時代を作った美少女ゲームのハシリはなんであろうか?
麻雀学園か? アイドル麻雀か?
いずれにしても、その頃はまだ一般的認識には至らなかった気がする。
そもそもこれらゲームはアダルトゲームという存在であり、
ヤニ煙る薄暗いゲームセンター(昔のゲーセンってそんな感じ)の片隅に存在していた。
1980年代の美少女ゲームの多くがアダルトゲームであり、
アダルトゲームでも、麻雀や花札といったモノでの脱衣ゲームが主流だった。
一応、これら脱衣ゲームは当時爆発的に流行したファミリーコンピューターにも
移植されたケースはあるが、
画質、音声、ゲームデザイン共に今見ると貧弱極まりなく感じるだろう。

1980年代当時はまだ、芸能アイドルが絶頂期の時代であり、
二次元の世界よりも三次元、つまり現実の美少女達が力強く活躍していた時代である。
そういう理由からか、普通に芸能人のゲームが存在していた。
PCエンジンで出されていた酒井法子のゲームや井上まみ(漢字不明?)のゲームは
それなりに有名かもしれない。

さて時代が少し進み、いよいよ二次元世界の美少女が社会現象を起こした時も、
やはり、PCエンジンから出されたモノだった。
コナミの制作した『ときめきメモリアル』である。
このゲーム、今で言う所の主人公育てゲームなのだが、
単純な中になかなかの面白さがあった。
もう一つが『お嬢様伝説ユナ』かもしれない。
どちらもゲーム業界から大きく羽ばたいた。
特に『ときメモ』の勢いはその後、暫く猛威を振るったのは記憶に新しい。
コンシュマーゲームに於いて、
ここまでやってのけたゲームというのも、珍しいだろう。

そういう意味では、
あの藤崎詩織(その攻略難易度条件の高さに一部、傲慢タカビー女、という称号を拝領していた)は
偉大なタレントなのかもしれない。

コンシュマーで『ときメモ』がさらなる猛威を振るいつつある頃、
PCゲームの世界でも徐々に美少女ゲームが社会現象に向けての胎動を
始めていた。

当時、まだPCゲームはwindows3.1の時代であり、
ゲームのプラットホームはDOS(特にNEC製PC−9800シリーズの黄金時代)であったから、
やはりコンシュマーに比べて一般的な存在とは言えなかった。
それでも、エルフから発売された『同級生2』はPCのモニターから、
様々な活動拠点へ飛んでいった。
まだまだ、少数のユーザーが支えていたPCゲーム業界の中にあって、
これはやはり、驚異的な事だといえる。
同時に、『妹属性』が一部の人間には完全に定着した。

同じ頃、コンシュマーではセガサターンプラットフォームによる
『サクラ大戦』がブレイク。
ときメモ+フロントミッションというどこから見てもマネゲームの抱き合わせ、
であったにもかかわらず、
広井王子、あかほりさとる、藤島康介を代表とするそうそうたるスタッフによる、
ゲーム世界観は一種のブーム現象を作り上げた。
懐古的世界のゲーム世界導入である。

さてWindows95の発売によって、
日本国内でもにわかにPCを買い求めた人々が増えた。
この現象はひとえに日本人の馬鹿ミーハー振りを示す好例ではあるが、
PCの一般家庭浸透という点には確かに大きく寄与しただろう。
日本でのPC普及の原因の一つに、古くからアダルトゲームという因子が存在したが、
Windows95の発売により、このアダルトゲーム業界は
更に加速度を高めたとも言える。
それでもまだ、当時はMS−DOSプラットホームのゲームが主流では合ったが。

PCゲームの競争は95年以降、日に日に激しさを増し、
一月に発売されるゲームタイトルも確実に増えていった。
いまに通じるゲーム業界興亡の実質的ハシリだろう。
そのアダルトゲーム戦争まっただ中の1999年頃、
1つの伝説的ゲームが誕生する。
ヴィジュアルアーツ傘下のkeyという会社の製作したそれは、
ときメモ以来のヒット商品となった。

『kanon』である。

−思い出に還る物語−をテーマに構成されたこのゲームは、
深みのあるストーリーと特異過ぎるキャラ設定がユーザーに受けいれられた。
発売当初はそれほど、騒がれたわけでは無いにも関わらず、
徐々に浸透しつつあったBBSやクチコミ、秋葉原的宣伝工作により、
次第にユーザーが増える。
ユーザーが増えると同時に、当時、流行りだした裏ツール全般にすらも違法ながら、
画像などが採用されるにいたり、
徐々に社会現象的レベルに到達していった。

また、このゲームは実はその後のアダルトゲームの方向性に多分な影響を与えている。


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